PRIDE14 藤田和之VS高山善廣 2001年5月27日 横浜アリーナの闘い

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PRIDE14 藤田和之VS高山善廣 2001年5月27日 横浜アリーナ

日本人ヘビー級、そして、プロレスラー同士による総合格闘技戦

高山善廣

PRIDE初参戦の高山善廣は、2001年4月15日 有明コロシアム

初代GHCヘビー級王座決定トーナメント決勝戦 三沢光晴との試合を闘っていた。

PRIDE参戦に伴い、プロレスリングノア社長である三沢光晴に相談し快く受け入れ

ノアを退団しフリーとしての活動を進めた。

この試合に対して高山善廣は、

高山「PRIDEの練習っていうか、プロレスラーになってから闘う練習は、

いつでもやってるから

ルールに対応するのと藤田をどうやっていじめるか

と語った。

プロレスラーとしてプライドのリングに上がる高山善廣に対して

藤田和之

レスリング全日本学生選手権4連覇。

全日本選手権2度優勝の実績を引っさげて新日本プロレスに入団するも

トップには、闘魂三銃士、すぐ上には、第三世代がいた。

当時、第三世代ですら闘魂三銃士との差は、大きく離され壁があった。

この2世代離れた序列は、一向に崩れる気配はなかった。

新日本プロレスのトップに立つために藤田和之は、行動を起こし

PRIDEを戦場とした。

PRIDE6戦目

すでに、当時霊長類最強の男と呼ばれたマーク・ケアーを倒し、

PRIDEヘビー級のエースと見られるようになっていた。

そして、2001年4月9日 ノートンを倒しIWGPヘビー級王者になった。

この試合に対して、

藤田「格闘技選手としてね、格闘技選手としてプロレスラーを叩き潰す!それだけ、、」

プロレスラーとしてプライドのリングに上がる高山善廣に対して

藤田和之は、完全に総合格闘家となっていた。

試合開始

プロレスとは、違う

一切受けを考えない試合

アマレス仕込のタックルにパンチ

高山の巨体を活かした首相撲からの膝

スタミナを奪ってのテイクダウン

頭部への膝、

最後は、肩固めで失神KO

2R 3分10秒 TKOレフェリーストップとなった。

死力を尽くした2人は互いに認めあい共闘をしていくのだった。